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大学病院の看護師の仕事内容、きつい2年間と辞めた経緯を解説

看護師

こんにちは、保育園看護師のいちごです。

本記事の結論!

大学病院での勤務は精神的にきついという理由で2年間で退職しました!

3年は働こう!と思って働いていましたが…

患者さんの最期を看取るということが、想像以上に精神的にこたえてしまったのです。。

 

その前に最近の家庭事情…

週末、ついに娘の幼稚園から休園のお知らせが来てしまいました。

娘自身は元気いっぱい。ですが、園内で2クラス学級閉鎖が続いていたので、拡大しないための判断なのでしょう。。。

こういう時、働く母たちは仕事どうしよう!!となるわけなのですが、、、

私が勤務する会社は働く母に優しく、子どもが休園・休校になった場合は特別に有休が適応になります。たいへんありがたいです。

 

それでは本題へ

今回は、大学病院に勤務していた期間についてのお話です。

私が働いていたのは、都内にある某大学病院。

大学病院に就職した方法と退職した経緯について書いていきたいと思います!

 

大学病院への就職方法

私は大学病院の付属の学校に通っていましたから…よほどのことがにない限り&自分が働きたい病院がある人でなければ、エスカレーター式で採用試験に行くことができます。

採用試験は何したかな?小論文みたいな自分の看護観を書くようなやつと、面接だったと思います。

単願ですし、だいたいの人は付属の病院に就職することになります。

系列病院が何個かあるので、同期みんな各々分かれて行きました。

私が働いていた病院はその中の本院、

病床数約1200床、診療科目は各専門分野に分かれていて、現在では約40の診療科があるようです。

大学病院で働きたかった私にとって、そこはとてもステータスが高い病院でした。

大学病院の求人は、転職サイトを使ったり、自分で調べて直接応募する。という形でも就職する方法があるみたいです。

が、一番手っ取り早いのは、やはり付属の学校に通うこと!!ですね。

配属先は・・・

自分で希望を出せます。

私は第一希望で、実習でもお世話になった消化器外科病棟に配属されました。

消化器は内科1フロア、外科2フロアあり、1フロアの病床数は約80床。

主に消化器癌の患者さんが多く、周手術期の看護を行います。

周手術期とは、

手術が決定した外来から入院、麻酔・手術、術後回復、退院・社会復帰までの、患者さん
の手術前後を含めた一連の期間のこと。

プリセプターシップ

新人教育のことで、一人の新人に対して、一人の先輩看護師が教育係として付きます。

私のプリセプターは4年目の先輩でした。

もう昔のこと過ぎて忘れてしまっていますが、はじめは採血・注射の練習なども先輩の腕を借りてやったような記憶があります。

点滴の作り方、輸液ポンプの使い方、ドレーンの管理や経管栄養、ストーマ管理など、、、

実践で学ぶことはたくさんありました。

看護技術を直接患者さんに行う時はしばらくは先輩が見守ってくれます。

晴れて先輩のOKが出ると一人立ち。

毎日勤務の最後には先輩とその日の振り返りをして終了になります。

看護方式と勤務体制

モジュール型プライマリナーシング

患者さん・看護師を2~3つの小チームに分け(モジュール)をつくり、

1人の看護師(プライマリナース)が数名の患者さんを入院から退院まで全期間受け持つ方式です。

勤務体制は、2交替制でした。

日勤は8時から16時。夜勤は16時から翌朝8時まで。・・・だったかな??

日勤帯は5~6人、夜勤帯は10~12人くらいの患者さんを受け持ちます。

病棟看護師の仕事(覚えている範囲^^;)

  • 術前検査
  • 術前呼吸訓練指導
  • オペ出し
  • オペ室帰室orICUより帰室…手術後の経過観察
  • 術後疼痛のケア
  • ドレーン・輸液管理
  • 術後合併症の予防、早期離床
  • 退院後の生活、食事指導
  • 化学療法、放射線療法の看護

  

2年で退職を決意

就職した当初、まずは3年は働こう!!と思っていました。

よく聞く言葉だったというだけで、3年という期間に意味はありません。

学生時代、奨学金をもらっていた人は3年働いたら返さなくていい…とか言われていましたが、

私はそもそも3年働くかわからないし…という考えで奨学金はもらってませんでした。

その時点でやる気ない感じですが^^;

2年目の7月、私は辞めることを決意しました。

責任の重さ

看護師という職業は、人の命を預かる仕事です。

外科病棟は、回転が速く、手術して元気に退院して行く患者さんがたくさんいます。

その反面、何度も再発を繰り返して、手術もできず、化学療法の副作用に苦しむ方、もう手の施しようがなく、痛みを和らげるという治療のみで最期を迎える患者さんもたくさんいました。

金庫管理が必要な危険な薬を扱う場面もあります。

2年でしたが、最期を看取った患者さんも数名いらっしゃいます。。その度に泣いていました。

日々、私の中に看護師という職業の責任の重さが積み重なっていたのかもしれません。

プライマリーの患者さんの最期

退職を決意した頃、私は一人の末期の方のプライマリーをしていました。今でも名前を覚えています。優しい顔のおじいちゃんでした。

何度も入退院を繰り返していて、今回の入院が最後だろう…痛みを和らげてあげることしかできませんでした。

もういつ逝ってもおかしくないと言われていたのですが、私は予定があり、3日程お休みをいただいてしまいました。

お休みの間は、プライマリーは他の方に代行してもらいます。

3日明けたらもしかしたら、もう病室にいないかもしれない…それくらいの状態でしたが、

3日ぶりに出勤すると変わらず病室にいて、挨拶してくれました。

でも、状態は決して良くなく、奥さんもずっと病室にいました。

私が休み明け出勤したその日か次の日、状態は悪化し、日勤帯の終わり頃に心肺停止となりました。

プライマリーが亡くなったことは初めてで、先輩がエンゼルケアを手伝ってくれました。

先輩に、

『きっと○○ちゃん(私の名前)のこと待ってたんだよ』

と言われた瞬間、プチッと何かが切れて、私は崩れるように泣いてしまいました。

落ち着くまで処置室で泣いて、先輩と一緒に最後のケアを行いました。

この時、もう人の死に直面したくない…という思いから、病棟を辞めることを決めました。

退職後の転職先は・・・

7月に退職を決めたものの・・・両親にはなかなか言いづらく、ようやく打ち明けたのは半年経ってからだったと思います。。

でもウチの両親は『自分で決めたことならいいと思うよ』と言ってくれました。

表向きは、家庭の事情…ということで退職させていただきました。

3月で退職した後は、すぐに働こうと思っていたので、次の就職先を探しました。

その頃は転職サイトというものも知りませんでしたし、どうやって探したのか忘れてしまいましたが、

働きたい場所だけは決まっていました。

銀座周辺

この頃の私はかなり宝塚にハマっていたので、東京宝塚劇場に!入り出待ちにすぐに行けるように!銀座周辺での仕事を探しました。

そして、行き着いた先が美容外科

命に関わらない仕事を探した結果がこうなりました^^;

銀座周辺をフラフラしている時に見かけたクリニックで採用面接を受け、次の就職先が決定したのです。

転職後の仕事についてはまた次回に書きたいと思います♪

 

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